牧野武文著:ハッカーの系譜(9)オープンソースの巨人たち (11) 「伽藍とバザール」とネットスケープの決断より引用:
このようなオープンソースのライセンスには、BSDライセンスとGNUライセンスなどがある。BSDライセンスは、無保証であることと著作権表示を明記してあれば自由に再配布、改変できるというものだ。しかし、このライセンスだと、コードを改変した人の権利がまったく守られない。たとえば、コミュニケーターのバグを発見した人が、その部分のソースコードを修正してくれたとしても、再配布をするときは、ネットスケープ社に著作権がある旨を明記しなければならない。バグフィックスに貢献してくれた人の功績は、形式的には、すべて原著作者であるネットスケープ社のものになってしまう。二次配布をするときは、あくまでもネットスケープの著作物としておこなう。
では、GNUライセンス(GPL=GNU一般公衆利用許諾)ではどうか。GPLでは、原著作者という考え方がなくなり、パブリックドメインに近くなる。ただし、GPLが違うのは、再配布をするときも自動的にGPLにライセンスされるということだ。つまり、著作権をGPLという架空の存在に帰属させ、なおかつGPLから外れることを禁止することで、心ない人が勝手に権利主張することができないようにしている。
いまだにライセンスと著作権を混同して考えているひとは多いのだろうか。歴史ものは読んでいて面白いのだけれど、この連載には他にもいくつか気になる点がみつかる。ひとつはこれ。反論を書こうとしたものの、記事の指摘をすることを露骨に嫌がる職業ライターの方もいるようなので記録だけしておく。